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日本橋の時代と、文化と、人をつなぐ。未来への始まりとなる「百尺ライン」

東京・日本橋で、ふと上を向いて歩いていると都会なのに空が広く感じることがあります。
これは日本橋の美しい景観を守るために「百尺ライン」という基準で建物が建てられたからなのだとか。

日本橋のきれいな街並み

皆さんは、この「百尺ライン」という言葉を聞いたことはありますか?

どの建物も基壇部の高さが揃っていて、一本のスカイラインが伸びやかに広がっていく美しい景観を目にすることができる高さが百尺(約31m)なので、百尺ラインと呼ぶそうです。
実は、この百尺ラインには日本橋のまちづくりへのこだわりと美意識、未来への想いが込められています。


日本橋の伝統と革新が融合し、
受け継がれた美意識を象徴する「百尺ライン」

百尺ラインの由来

日本橋の百尺は、1929(昭和4)年に竣工した国の重要文化財である三井本館の高さが百尺であることが由来しているそうです。さらに言えば、もともと市街地建築物法(建築基準法の前身法)の百尺制限に基づくものであると言われています。

百尺ラインの由来と言われる三井本館

ビルが立ち並ぶ中央通り沿いは、三井本館の高さと同じ百尺(約31メートル)のラインに基壇部をそろえる再開発を進めており、中央通りに圧迫感がないように美しい景観を作りだしています。

歴史的建築と近代建築が共存するまちづくり

日本橋では、歴史的建築と近代建築が共存するまちづくりが進んでいます。

これは、江戸時代から綿々と続く日本橋の発展の歴史と、未来への進化の融合を意味するものであり、日本橋ならではの美意識や粋の文化などを継承していく象徴のひとつとも言えるものです。

日本橋を歩いていると、江戸の風情を残す路地に出会えたり、近代的なモダンなビルと歴史的な建築物が共存している姿を見ることができ、その時代時代における街の風情を味わいながら、街の歴史にも想いを馳せることができるという楽しみがあります。

また、街の景観美と共に、新たに生まれた商業施設内に出店した老舗が、これまでにない付加価値のある商品を提供することで、外国人観光客の人気も博し、それによってまた新たな市場ニーズを見出すなど、時代と共に常に進化を続ける老舗の魅力も、一段と日本橋を活気づけています

日本橋の百尺ラインが”つないでいく”

このように、日本橋の百尺ラインが、時代をつなぎ、文化をつなぎ、人をつなぐ、大きな役割を果たしてきたと言えます。
中央通りの高層ビルに隣接するエリアでは、行燈が飾られた趣のある通りが整備され、地域の方々と景観を守るルールを作成するなど、街並みと調和した個性的な店舗とともに、歩いて楽しいまちづくりも進められています。

まちづくりは建物の完成がゴールではなくスタート。
時を経るごとに味わいを増していくまちづくりを継承し、新旧融合した街の多様性を育んでいく。それが、日本橋ならではの大きな魅力となっています。

日本橋は「はじまりの街」
常に時代をリードする先取の精神

中央通り沿いの日本橋の百尺ラインを目にしながら通りを歩いてみると、歴史的な建造物と近代建築が見事に共存している姿を見ることができます。
日本橋三越本店がある通り沿いには、日本橋にあって時代を先導しながら、今なお輝きを放っている名建築と言われる建物が並びます。

【歴史的な建造物】日本橋三越本店

日本橋三越本店

日本橋三越本店は、商業の中心地であった日本橋を象徴する百貨店。
1914年完成の同館は、当時の日本にとってはまさに新しい風でした。19世紀にパリの紳士淑女を魅了していた「百貨店」という文化が、三井グループの手によって日本へと入ってきたのです。
大人が買い物を楽しむ場として造られた同館は、非常に装飾的で華やか。館内では、5階まで大きく吹き抜けたホールを中心に、アール・デコを基調とした、細部の装飾も見逃せません。

そんな吹き抜けホールの中央に立つ輝く天女像は、約11mの高さを持ち、見る者を圧倒します。これは、日本芸術院会員の佐藤玄々が京都府の妙心寺内のアトリエで約10年の歳月を費やし制作されたもので東洋の心を感じるデザインです。

迫力のある天女像

その奥、階段に設けられたバルコニーには、米国ウーリッツァー社から購入したパイプオルガンを配置。全部で852本のパイプが左右に収められています。このパイプオルガンは今でも実際に演奏されています。
ちなみに、このホールを囲う大理石の壁にはアンモナイトの化石が含まれているそうです。

大理石の壁に埋め込まれたアンモナイトの化石

【近代建築】コレド室町・日本橋室町三井タワー

コレド室町

中央通りを挟んで反対側の通りには、現代の日本橋を象徴するような高層ビル群が立ち並びます。
例えば、日本橋の歴史、人々の暮らしの中で受け継がれてきたカルチャーを発信する商業施設「コレド室町」や、世界をリードする様々な先端企業が入居する「日本橋室町三井タワー」をはじめとして、多くの大企業が入居しているビジネスの中枢エリアが続きます。

このように、いつの時代も新たな価値を生み出し、日本橋が時代をリードしていく先取の精神が、百尺ラインに並ぶまちづくりのあり方を通じて感じ取ることができます。

日本橋は古くから常に人の活気があふれ、国内外から様々なヒト・モノ・コトが集まる街として栄えてきました。そして今なお、伝統と革新が融合する「百尺ライン」が未来につながるスカイラインとなって、日本橋は「はじまり」の街として、新たな成長と発展を続けていきます。

「百尺ライン」による東京のまちづくりの記憶の継承

最後に、百尺ラインのもうひとつの楽しみ方をご紹介いたします。

明治~昭和初期にかけて、建築基準法に先立つ市街地建築物法の「建築物の高さは100尺≒31m以内に収める」という制限に準じて建築された建造物のスカイラインが、日本橋、丸の内から始まり100尺で軒のラインを揃えることで美しい都市景観を形成しているようです。

高さが100尺以内に収まっている建造物(手前)

31mに揃った景観は、皇居の濠に面した日比谷通り沿いの「明治生命館」や「丸の内二重橋ビル」、「帝国劇場」などの並びでも見ることができます。
さらに、晴海通りとの交差点を経た「東京ミッドタウン日比谷」や「日本生命日比谷ビル」でも綺麗なラインを創出しています。
日本橋、丸の内、お濠端から日比谷公園付近まで建造物の景観美の連続性も延長され、単なる機能性だけに囚われない街全体の価値を高める「記憶の継承」が、現代においても大切にされていることを、ぜひ実際に見てご体感ください。

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