Leader’s Voice「革新」を生み出す日本橋の老舗企業 山本海苔店

伝統とは、革新の連続である

山本海苔店は、江戸末期の嘉永2年(1849年)に初代 山本德治郎が、現在も本店のある日本橋室町一丁目で創業。

その後170年以上に亘る歴史の中、海苔ひとすじに歩み、日本の食文化に多大な貢献を果たしてきました。

当時の江戸は人口100万人を超える世界でも有数の巨大都市となり、日本橋は日本の交通の要衝として全国から多くの人や物資が集まり、商業、経済の中心地としてさらなる発展期を迎えるとともに「大江戸文化」の爛熟期でもありました。

ここから山本海苔店が、日本の食文化を代表する顔となる海苔をどのように創り出し、育んでいったのか。

現代のビジネスリーダーにも通じる、革新を生み出す発想力と行動力、そして新たな歴史を刻んでいく未来へのビジョンを、代表取締役社長である山本貴大氏にお伺いしました。

山本海苔店 代表取締役社長 山本貴大氏

常に時代のニーズに先駆ける、山本海苔店の革新の歴史

― ―170年以上に亘り山本海苔店の発展を支えてきた、企業の革新とはどのようなものだったのでしょうか。

山本:
まず、初代 山本德治郎が行った最初の革新は、何よりも「日本橋」という地に着目し、そこに店舗を構えたことです。

当時では「海苔といえば浅草」というのが一般的でした。

そこで初代は100万都市・江戸の食を支えるために、ますます大きな発展を遂げてゆくであろう魚河岸があり、拡大する魚介類、水産物の大きな需要を見込める日本橋の地に最初の店舗を構え、商業の中心地・日本橋に集まるさまざまな食文化と融合する最高品質の海苔の価値づくりにこの地から挑戦を始めました。

二代目は、初代のビジネス発想をさらに広げた、特にイノベーティブな存在で、海苔を顧客ニーズに応じて8種類に分けて販売する「仕訳」という現代的なマーケティング手法を導入しました。

【日本初】「味附海苔」を創製

この画期的な販売方法は、顧客の高い支持を獲得して「海苔は山本」と言われるまでになり、ブランド価値を大きく高めました。「仕訳」は、現在でも弊社のコアコンピタンスとして重要な経営資源となっています。さらに、日本で初めて「味附海苔」を創製するなど、初代の蒔いた種を二代目が大きく花開かせました。

三代目は、二代目が考案した「仕訳」において日本中で右に出るものはいないと言われ「海苔の神様」とも呼ばれました。

それに加え、それまでバラバラだった海苔の規格やサイズを業界全体で統一するのに尽力し、現在皆さんがよく目にするような海苔の形、大きさが生まれました。

これにより家庭ではより使いやすくなり、市場での価格安定や物流、包装などの標準化・効率化などに大きく貢献しました。

またいち早く海外進出にも取り組みました。

四代目の時期には、関東大震災により日本橋の店舗や倉庫が被害にあいましたが、わすか20日で仮店舗を構え、更に日本橋から移転した築地の魚河岸に初めての支店を出店

現在につながる店舗戦略の先鞭をつけました。この店舗戦略を拡大させたのが五代目です。基幹となる自社店舗として初めて百貨店という船に乗り、その後数百店舗というネットワークに広がりました。

【日本初】ドライブイン(ドライブスルー)設置

また現在の本社新社屋竣工時には、駐車場側に日本初となるドライブイン(ドライブスルー)を設置し、大きな話題にもなりました。

1965年 日本初のドライブイン(ドライブスルー)

私の父でもある六代目は、コンビニチャネルの開発や海外での現地子会社設立を進めるなど、新たな市場拡大に注力しました。

その他にも、製造面においては日本最大の海苔生産地である有明海に面した佐賀に製造拠点を設置しました。

徹底した品質管理のもと生産者との距離を縮め、最上級の海苔を鮮度感のある商品に作り上げるために、製造現場や研究所においても常にイノベーションを積み重ねてきました。

山本海苔店 佐賀工場

私たちは海苔ひとすじですが、それぞれの時代によって求められる価値も違いますので、先代たちは、常に時代のニーズに先駆け、山本海苔店の新たな価値を創造し続けてきたと思います。

社員全員と考え、みんなで作った経営理念

『よりおいしい海苔を、より多くのお客様に楽しんでいただく』

― ―現在の社員の方々は、山本海苔店のDNAとも言える価値観をどのように継承・共有しているのでしょうか。

山本:
弊社では創業以来、経営に関わる重要な言葉がいくつか伝承されています。中でも現在に至るまで脈々と受継がれているのが、

二代目の
「お客様が最も必要とされる商品を最も廉価で販売せよ」
三代目の
「山本の看板がついた海苔には1帖たりとも不良品があってはならない」
というものです。

これらは現在においては会社の行動指針となっています。
しかし、私が山本海苔店に入社したのは2008年ですが、実はその上位概念である会社が何のために存在するのかを規定する経営理念が明確に規定されていなかったのです。

そこで、社員全員でワークショップを行い、みんなで考え出したキーワードを紡ぎ作成したのが
「よりおいしい海苔を、より多くのお客様に楽しんでいただく」という経営理念です。

山本海苔店HP参照

実は、これは覚えやすいように短くしたもので、ロングバージョンは次のようになります。

「我々は世界一の海苔屋として誇りを持ち、より多くのお客様に よりおいしい海苔を中心とした日本文化を永きに亘って楽しんでいただくことで社会に貢献します」

経営理念を規定した当時は、事業戦略における大きな転換期でもありました。

これまで弊社の販売拠点の大半は百貨店で、中元、歳暮に代表される高級ギフト海苔市場を中心にマーケティングシステムを確立し、その中で売上を大きく拡大してきました。

しかし、中元、歳暮市場の縮小と流通業界における百貨店の市場縮小により弊社の売上も次第に減少傾向にありました。

新たなステージを模索する中、お土産、手土産などのギフト市場全体は拡大していることが判明し、これまでの中元、歳暮中心の販売戦略から方向転換を図り、それに伴い販売先も量販店や高速道路のサービスエリア、空港などを、新たな販売拠点として開発していきました。

しかし、社員の中にはこれまでの成功体験から抜け出せず、プレステージが下がるといった思いを抱くものも少なからずいました。

長い歴史を有するがゆえに、社員全員が一丸となって向かうべき道が見えなくなり、なんとか皆の気持ちをひとつにしたいと考えました。

そこで社員全員で我々の存在意義は何か、を徹底的に議論した結果、全社の価値観共有の羅針盤として、いまの経営理念が生まれたのです。

これにより、新たな事業戦略についても社員も皆、腑に落ちて、社員みんなが同じベクトルで
“自分たちで作った理念で仕事をしよう”という強い意志と心構えが浸透していったのです。

将来の七代目が目指す、
山本海苔店の新しい歴史づくりと海苔文化のさらなる発展

― ―山本社長は今後、七代目当主を受け継がれるご予定と伺っていますが、どのような未来のビジョンを描かれていますか。

山本:
「よりおいしい海苔を、より多くのお客様に楽しんでいただく」という経営理念を、どの時代においても徹底追及していく姿勢は変わりません。今、日本の海苔産業は、国内消費者の生活様式や嗜好の移り変わり、資材価格の高騰、外国産海苔の台頭など急速に変化する商環境にあります。

そこで、これまで山本海苔店ではBtoCマーケットを中心として事業を展開してきましたが、海苔業界大手でBtoBマーケットを得意とする株式会社髙岡屋と2022年に資本業務提携契約を締結し、2023年には子会社化いたしました。

これにより海外業務市場と国内コンビニ市場へと一気にマーケットを拡大でき、そこからさらに日本、そして世界中の多くのお客様へ山本海苔店のおいしい海苔体験がどんどん広がっていくことでしょう。

「高級だから山本海苔を買う」のではなく「おいしいから山本海苔を買う」

まさに、経営理念を新たな形で実践しながら、海苔文化のさらなる発展を目指していきます。

また海苔業界を取り巻く環境として、地球温暖化は海苔の生育にも非常に大きな影響を及ぼしており、最近は不作が続いています。

海苔は冬に育つ生物ですので、海が温かいとおいしいものが減り、量も採れないのです。さらに、地方の過疎化や海苔を作る漁師さんがどんどん減っていることも業界としては厳しい環境にあります。

山本海苔店が「海苔ひとすじ」と言い切れるのは、創業以来、味を守ってきた自負があるから。冬に採取される海苔は各漁協で格付けされ、山本海苔店の熟練バイヤーが本当においしい海苔を吟味厳選して仕入れ。

さらに、仕入れた海苔すべてをあらためて、専門の「仕訳技術員」が口どけや柔らかさ、味、色、ツヤなどを判定し、山本海苔店独自の格付けを行っています。

海苔文化をさらに発展させていくためには、漁師さんを守り、海苔を育み、味を維持して、業界を牽引していく努力を続けていくのが山本海苔店の使命だと考えています。

そこで、山本海苔店では、海苔生産と供給の安定を目指して、2022年7月に九州(福岡)に海苔の一次加工会社SENKAIフーズを設立しました。

これは、たとえば、漁師の父・息子が海苔を育て、摘み取る。祖母・母が板状にする、といった家族で海苔づくりの仕事をされている生産者がいたとします。

そこでは、ご家族の体調や高齢化などが原因で、海苔の生産量を減産しなければならなくなったり、後継者がいない等で海苔づくりを続けられなくなる、といったさまざまな海苔づくりにおける課題があります。

高品質な海苔の生産に欠かすことのできない漁師さんのこういった課題を一つひとつ解決し、漁師さんのパートナーとして海苔生産・供給の安定化を目指してサポートを行うのが新会社の役割となります。

未来に向けて、おいしい海苔を大切にし、心の底から残そうという想いで、山本海苔店の長い歴史の中で受継がれ、今後も大切に育まれていくおいしい海苔文化とものづくりの魂を後世に伝えていくことが大変重要だと考えています。

新たな海苔の可能性を広げる飲食店に挑戦!
山本海苔店が実践する「おいしい海苔のサステナブル」とは

― ―現在、日本橋では街全体で再開発が進んでいますが、山本海苔店は今後どのように変わっていくのでしょうか。

山本:
室町エリアにもおいても山本海苔店の本店が入っている本社ビルを含め、周辺エリア一帯が日本橋の再開発計画により来年以降、順次解体が始まっていきます。

山本海苔店ではまったく初めての試みとなる飲食店を併設した新本店を立ち上げる計画を進めています。

以前は家庭の中でも、中元、歳暮などでいただいたおいしい海苔がいつも身近にあった時代もありましたよね。

そこで、現在若手メンバーを中心に「山本海苔を最もおいしく、楽しんでもらえる飲食店を作ろう!」と急ピッチで計画を進めています。

山本海苔店が追求する本当においしい本物の海苔と若手メンバーが考えるユニークなアイデアが融合して、これまでにないどのような山本海苔の魅力や可能性が広がっていくのか、今からとてもワクワクしています!!

ところで、本当においしい海苔って、何かわかりますか?
山本海苔店が追求しているのは「パリパリ感と口どけ」です。とにかく、コレが大事。

海苔は若い段階で摘めば摘むほど、味や香り、色、ツヤ、が良くなるのです!山本海苔店では、採苗してから摘採まで30日位しか経っていない若い海苔「一番摘み」をほとんどの商品に使用しています。

一番摘みは柔らかく、口どけがとても良いのが特長です。

しかし、これは特に希少価値が高く、採れる量が限られるため、海苔を作る漁師さんにも一定数だけ摘むようにルールを決めています。

私たちは、創業時から海苔を作る漁師さん達との共存共栄関係をとても大切にしてきました

山本海苔店が求める最高品質の海苔を作ってくれている漁師さんだからこそ、私たちが高値で買いとることで、おいしい海苔を作り続けていただきたい。そしてお互いに大切な絆で結ばれた関係を構築したい。

それが、自然からいただいたおいしい海苔を守り続けることにつながり、本当においしい海苔をたくさんの人に味わっていただくことにもつながりますし、さらに日本の海苔文化の発展や持続的に発展していく社会づくりにもつながっていきます。

今回の新たな試みである飲食店においても、最高品質の山本海苔の新たな魅力と楽しみ方をお客様にお届けすることで新たな市場が生まれ、さらに各地に店舗が広がっていくことで、漁師さんとの絆もさらに深く、強くつながっていくことになるでしょう。

「おいしい海苔を守ろう」
そして、「おいしい海苔を作る漁師を大切に」

これが170年続く、山本海苔店が独自に実践している「おいしい海苔のサステナブル」なのです

インタビューを終えて

インタビューを終えての率直な感想は、「海苔って、すごい」「海苔って、いろいろな可能性に満ちている」でした。

山本海苔店の最近のユニークな取り組みでは、”宇宙でお餅に海苔を巻いて食べたい”という宇宙飛行士からの要望に応え、JAXAからの依頼を受けて「味附海苔」での研究を重ね、2019年1月に宇宙日本食認証を取得。

その後、海外宇宙飛行士の宇宙食(ボーナス食)*1にも日本で初めて採用され、大きな話題になりました。

山本海苔店 プレスリリース参照

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000078804.html

さらにいいことは、旨みの3大成分であるイノシン酸(鰹節)、グルタミン酸(昆布)、グアニル酸(シイタケ)の、この3つの成分がすべて入っている天然の食べ物は海苔だけなんです。これから、オフィスなどでの需要もありそうですね。
山本海苔店の追求する海苔の可能性や価値の広がり、これからも大いに期待できます!

※1:「ボーナス食」とは、国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在する全ての宇宙飛行士がメインに食べている「標準食」とは別に、宇宙飛行士個人が自分で選んで持っていくことができる宇宙食のことです。

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