京橋ってどんな街?
東京・京橋と聞いて、どんなイメージがありますか?
繁華街を貫く都心の大動脈、中央通りが走り、華やかな銀座と粋な日本橋にはさまれ、どちらかというと落ち着いた印象が強いかもしれません。
路地裏を歩くと、昔ながらの木造建築や老舗の飲食店があるものの、表の顔は堅実なビジネスパーソンの街といった感じでしょうか。
その歴史ある京橋エリアで、いま大規模な都市開発が進行中です。
戸田建設が進める新しい自社ビルの構想、そしてアートの活用を特色にしたプロジェクト「ART POWER KYOBASHI」について注目してみましょう。
プロジェクトを担当する戸田建設株式会社 戦略事業推進室 京橋プロジェクト推進部の小林彩子部長と武井麻里子さんにお話しを伺いました。
京橋の歴史
今では埋め立てられた後に首都高速道路ができて面影がありませんが、昔は街中に川が流れており、木材や石材を運んでいました。
橋としての京橋は、江戸の頃、日本橋から東海道で京都へ向かうときに最初に渡る橋だったので、その名が付いたと言われています。
江戸時代は職人が暮らす街として栄え、「鍛冶町」「大鋸町」「鞘町」「桶町」などの旧町名にその名残がみられます。
桶町は、坂本龍馬が通った千葉定吉道場があった場所でもあります。また、「南伝馬町」は「江戸の3伝馬」と呼ばれる公文書などを運ぶ通信・流通拠点のひとつでした。
古美術店、ギャラリーが集まるアート街・京橋
京橋には、幕府の御用絵師、狩野派の絵師や東海道五十三次で知られる歌川広重など、多くの絵師が住んでいました。
大正時代、北大路魯山人が美術店「大雅堂藝術店」を開いたのもこの地です。店の2階で美術品の陶器に高級食材を使った料理を出すようになり、会員制の「美食倶楽部」を発足。
魯山人自らが厨房に立ち料理を振る舞う一方、食器も創作するようになったのです。
芸術を巡る伝統は戦後も受け継がれ、骨董通りには、いまも古美術店やギャラリーが多数集まっています。
ものづくりの街の歴史が、京橋を特徴づけてきたといえましょう。
京橋の再開発
京橋はもともと職人の街でしたから一つひとつの街区が小さく、地権者が多く権利関係が複雑だったこともあり、なかなか再開発が進みませんでした。
しかし、2000年代に入り、京橋を含む東京駅周辺が「都市再生緊急整備地域」に指定され、計画が動き始めます。
いま注目されているひとつが、八重洲通りと中央通りの交差点付近を中心にした京橋1丁目東地区。
このエリアに拠点を構える戸田建設と永坂産業がそれぞれのビルの建て替えを計画、両社は2015年秋、都市再生特区制度を活用して「芸術文化の拠点づくり」と「地域の防災力強化」を掲げて特区提案をし、その翌年から開発がスタートしました。
開発街区を構成するビルは、2019年7月に竣工した永坂産業のミュージアムタワー京橋と現在建設中の戸田建設のTODA BUILDING(以下TODAビル)です。
戸田建設が仕掛ける「ART POWER KYOBASHI」
戸田建設が設計・施工する複合商業オフィスビル、TODAビルは2021年に着工、2024年9月の竣工を予定しています。
上層階は同社の本社機能やテナントオフィスですが、低層階はアート一色というユニークなビル。
「ART POWER KYOBASHI」をコンセプトに、新進アーティストの支援を主軸とした各種アート・プログラムを実践していく準備を進めています。
似たり寄ったりになりがちな高層ビル群のなかで、他のエリアとの差別化を「アートの力」に託しました。※詳細は「後編」へ
戸田建設と京橋とアート
TODAビルの建設が進められている場所は戸田建設の旧本社ビル跡地。
この地で122年間建設業を営んできた同社は、近年オフィスを始めとする不動産賃貸業にも進出、さらに新社屋ではアート事業を自社運営することにしました。
その運営を担うのが、2017年に新設された同社の戦略事業推進室。外部に委託せず、アート分野に経験のある社員を採用するなど、その本気度が伺えます。
「京橋の歴史を生かして芸術文化に関連する施設をつくり、次の100年も京橋と共にありたい」と、小林彩子部長は話します。
さかのぼれば、2代目の戸田利兵衛(1886-1981)は、自身も絵を描き絵画を収集し、作家たちを支援するなど、アートの良き理解者だったそうです。
そんな創業家の生き方が今回の取り組みに活きているのかもしれません。
芸術文化エリアと街をつなぐ「京橋彩区」の新設
TODAビルの隣りがミュージアムタワー京橋です。
2つのビルとも低層部分が芸術文化エリアになるのが特徴的で、連携して新しい芸術文化の発信拠点を目指しています。
ミュージアムタワー京橋は2019年に完成。低層部にはブリヂストン美術館から館名を変更したアーティゾン美術館があります。
さらに、建物外部の工夫も見逃せません。
TODAビルでは、中央通りの歩道から15メートルほどセットバックして広場やロビーを設けます。
間口80メートルの広々とした広場は誰でも自由に訪問できます。2つのビルの間には、歩行者専用通路も整備され、街路と一体となって街への回遊性を高めます。
両ビル低層部と建物外部の広場部分とを合わせて、「京橋彩区」と名付けられました。
戸田建設と永坂産業で一般社団法人京橋彩区エリアマネジメントを設立し、中央通り沿いの他の組織とも連携しつつ、アートを軸に居心地の良いまちづくりを進めていきます。
京橋が、誰もが気軽に多彩な芸術文化に触れられる全く新しい街になる予感がします。
TODAビルの構想
では、TODAビルについて深掘りしてみましょう。どんなビルになるのか楽しみですが、構想についてひと足先に教えていただきました。
TODAビルは、地上28階、地下3階。8~12階に戸田建設の本社が入り、13~27階はオフィスフロアとしてテナントに貸し出します。
6階までの低層部が、芸術文化エリアとして活用されます。
TODAビルの芸術文化エリア
では、低層部の芸術文化エリアをフロアごとに詳しくみてみましょう。
パブリックアートが楽しめるエントランス
まずビルのエントランスロビーや屋外広場等の共有共用空間では、更新性のあるパブリックアートを展開していきます。
そして、ビル内では、以下のフロア図の通り、芸術文化に関連する施設が各フロアを盛り上げます。
ゲーム・映画・アニメ・音楽の企画展が開催されるミュージアム
6階には、ソニー・クリエイティブプロダクツが運営する情報発信型ミュージアムを誘致。
ゲームや映画、アニメ、音楽などのコンテンツを中心とした企画展を開催予定。現代アートとの親和性が高く、京橋に幅広い年齢の客層の来訪が期待されます。
イベントホール・カンファレスフロア
4~5階は、2フロアを吹き抜けで使う、多目的型のイベントホール。
大小2つのホールでは、車の展示会や音楽ライブ、講演会やビジネス向けカンファレンスなどが開催可能です。
ギャラリーで現代アートに触れる
同社のアート事業の活動拠点となる3階には、ギャラリーコンプレックスとして、現代アートのギャラリーが複数入居予定。
アートと出会い、心地よい刺激を得られる空間として、多くのビジネスパーソンが訪れることでしょう。
同社が運営する「創作・交流ラウンジ」(仮)では、新進アーティストの活動を支援していきます。
「東京駅近くという立地を生かし、出張者が帰郷前に立ち寄りたくなるようなアートの取り組みにも力を入れます」と、武井さんは意気込みを語ります。
アートショップ・カフェも展開
1階にはアートショップが設けられ、アーティストの作品やグッズ、デザイン品などを扱います。
誰もがアートやデザインを身近に感じられる場として、気軽に立ち寄れるカフェも併設されます。
そして、エントランスロビーや中央通りに面した広場はまちに開かれた空間。ビルと街が自然につながり、来街者との接点を提供します。
ロビーを取り巻く2階の回廊は作品展示ができるようにしつらえられていて、若手アーティストの発表の場に。
ビルの内外を緩くつなげることで、1階や2階にふらりと立ち寄った人がアートに吸い寄せられてビル内を回遊、さらに京橋の街へと流れる効果を狙っています。
後編では、戸田建設が進める「ART POWER KYOBASHI」の仕掛けについて詳しくみていくことにします。