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「強い組織づくり」を学ぶ~歌舞伎の一門が400年以上の歴史を彩る仕組みと成り立ち~

中小企業庁発表の2021年版中小企業白書 によると、起業して10年後も存続している企業は約70%、20年後は約30%となっています。

つまり20年間で約70%の企業が「廃業」してしまうわけで、企業を存続させていくことがいかに厳しいものであるかを物語っています。

そのため多くの経営者やマネージャーが企業や組織の存続について頭を悩ませているのですが、ここで参考にしたいのが400年以上続いてきた伝統芸能である歌舞伎の「一門」という制度です。

歌舞伎は「成田屋一門」「音羽屋一門」といったグループ組織によって構成されており、各一門内の強固な師弟関係、一門への帰属意識を源泉として組織を維持してきました。

今回はそんな歌舞伎の一門制度の成り立ち、仕組みをご紹介し、企業・組織存続のためのヒントを探っていきたいと思います。

歌舞伎の「一門」(家)制度はどのように確立されたのか?

市川團十郎家のお家芸とされる歌舞伎十八番のうちのひとつ「助六」

ここでは一門というブランドがどのように確立されたのかを、最も有名な成田屋一門(市川團十郎家)を例にとってお話したいと思います。

新興都市「江戸」でのマーケティング的成功

今日では江戸歌舞伎の「宗家」として歌舞伎界に君臨する成田屋一門ですが、最初からそのような地位にあったわけではありません

初代市川團十郎が活躍する元禄年間以前、文化の中心は上方つまり京・大坂であり、江戸は文化的に遅れた新興都市に過ぎませんでした。

そんな「田舎」の江戸では上方風の洗練された「和事(わごと)」と呼ばれる柔らかい芸は受けません。

当時新興都市だった江戸には建築需要が多く、近隣の関八州から大量の若い男性職人が集まっていました。

そのような「ペルソナ」に対し、初代團十郎は考えます。

「この若いメンズたちに受けるには、もっと単純でわかりやすい、そしてスカッとする物語が必要だ!」

そこで当時流行していた金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり=金太郎の息子坂田金平が活躍する人形芝居)をベースに、力強く、荒々しいスーパーヒーローが活躍する「荒事(あらごと)」芸を確立。

狙いは見事に当たり、一躍スターダムにのし上がっていくのです。

「お馴染み」の強さ 歌舞伎十八番の創設

「荒事の成田屋」というブランドを立ち上げた成田屋一門でしたが、江戸歌舞伎の頭領、市川宗家として君臨するためにはあと一歩が必要でした。

そこで七代目の團十郎は、日本人が大好きな「ご存知」「お馴染み」といった「定番」に目をつけ、團十郎一門が代々得意としてきた荒事の演目をお馴染みの演目集としてまとめ上げます。

それが有名な「歌舞伎十八番」です。

江戸歌舞伎発祥の地、日本橋人形町に立つ「勧進帳の弁慶像」

現在では得意技のことを十八番(「じゅうはちばん」、又は「おはこ」)と呼ぶほどにメジャーとなった歌舞伎十八番により、成田屋一門はいよいよ江戸歌舞伎の頂点に君臨するようになります。

天覧歌舞伎でブランドを上方シフトする

江戸歌舞伎の頂点に立った成田屋一門でしたが、当時公家や武家が好む「能楽」に比べ、歌舞伎は「庶民の娯楽」であり、役者たちの社会的地位も極めて低いものでした。

それは江戸時代が終わり、明治の世となっても変わりません。

そこで七代目團十郎の息子であり、後に「劇聖」と呼ばれる九代目團十郎は「皇室の権威」を利用することを思いつきます。

現代でも「宮内庁御用達」がブランドの価値を高めていますが、それと同じことをおこなおうと考えたのです。

そうして1887年(明治20年)、明治天皇の御前で史上初の天覧歌舞伎が上演されました。

これにより歌舞伎の地位は一気に向上。

現在に至る「高尚な伝統芸能」というブランドを確立し、成田屋一門はその頂点に立ち続けることとなったのです。

一門を支える師弟の絆

歌舞伎の世界では“黒”は見えないという「お約束」

多人数の出演が必要となる歌舞伎の舞台は血縁者だけでは維持できません。

そこには影に日向に歌舞伎を支える「お弟子さん」の存在があります。

一度入門すれば数十年にも及ぶ師弟関係。その絆はどのようにして生まれるのでしょうか。

歌舞伎の師弟には「雇用契約」は存在しない⁈

実は歌舞伎の師弟間には「雇用契約」は存在しません。

歌舞伎役者はそれぞれが主に松竹株式会社と個別に契約を結んでいます。(ちなみに契約は1公演ごとの契約で、契約書の存在しない「諾成契約」です)

では師匠とお弟子さんはどのような関係でつながっているのでしょうか。

師匠を中心とする家族以上の「絆」

契約という法律関係に縛られない師弟をつなぐもの、それは親子関係にも似た、「絆」とも呼ぶべきものです。

歌舞伎の公演は1年中ほぼ休みなく続けられるため、楽屋内で師匠の身の回りの世話もするお弟子さんと師匠は非常に長い時間を共に過ごします。

地方公演や巡業のときなどはまさに「寝食を共にする」わけで、そこには本物の父子を超えた家族以上の関係性が生まれるのです。

また歌舞伎の「世襲制」というシステムもこの絆を維持するのに重要な役割をはたしています。

師匠の疑似家族であるお弟子さんにとって、師匠の息子さんもまた「家族」。

その成長を師匠とともに見守り、成長してからは次世代の師匠としてこれを支えます。

どこの誰かもわからない人がトップになっては支えられませんが、幼い頃から見守ってきた人が次世代のトップとなるのであれば納得して支えられます。

こうして歌舞伎の一門は、400年を越える歴史を築いてきたのです。

モチベーションの源泉は「一門への帰属意識」と「歌舞伎愛」

「主役にはなれない」「薄給」それでも舞台に立ち続ける

いくら師匠との固い絆があるとはいえ、お弟子さんたちが主役を演じることは決してありませんし、また多額のお給料をもらえるわけでもありません。

しかしそれでもお弟子さんたちは毎日舞台に立ち続けます。

そのモチベーションはどこから生まれてくるのでしょうか。

モチベーションの源泉は「一門への帰属意識」と「歌舞伎愛」

決して主役にはなれず、お給料的にも恵まれていないお弟子さんたちが日々舞台に立つモチベーションは、一門の一員であるというプライド、そしてなによりも「歌舞伎が好き」という歌舞伎愛から生まれます。

歌舞伎の役者さんは400年以上続く歌舞伎の世界、そして名門の一員であるということに強い「帰属意識」と「プライド」を持っています

そのため、一人一人が「自分が歌舞伎を支えている」と考えることができるのです。そしてそのことは強い「歌舞伎愛」にもつながります。

ポイントは「帰属意識」「プライド」「歌舞伎愛」というモチベーションの源泉が、全て他人から与えられるものではなく、自律的に、自分の内側から発生しているものであるという点です。

師弟関係という一見「中央集権的」な組織でありながら、実は一人一人が自律的に行動する「分散処理型」の組織でもある。

この柔軟さが歌舞伎の、そして一門という組織を長年存続させてきた秘密かもしれません。

継続している組織には強さがある

1889年(明治22年)に開場以来、様々な変遷を経て今日に至る『歌舞伎座』の姿

冒頭で20年間で約70%の企業が「廃業」してしまうというお話をしましたが、逆にいうと、その20年間を越えて存続している組織には簡単には崩れない「強さ」があります。

今回のお話が、強い組織を作るヒントとなれば幸いです。

第一弾の記事はこちら

歌舞伎の「所作」や「せりふ」でコミュニケーションを上質にする

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