
「にんべん」「榮太樓總本鋪」「山本海苔店」3社の代表による本音座談会
東京都中央区・日本橋。再開発が急ピッチで進むこの街には、創業から数百年を誇る老舗企業が今なお暖簾を守り、進化を続けています。
今回は、日本橋を代表する老舗「株式会社にんべん(創業320余年)」「株式会社榮太樓總本鋪(創業200余年)」「株式会社山本海苔店(創業170余年)」の3社の代表にお集まりいただき、『老舗が見据える日本橋のこれから』について語っていただきました。

株式会社榮太樓總本鋪 細田 将己氏/株式会社にんべん 髙津 伊兵衛氏/株式会社山本海苔店 山本 貴大氏/ファシリテーター:株式会社清和ビジネス 勝本 浩史
目次
- 「にんべん」「榮太樓總本鋪」「山本海苔店」3社の代表による本音座談会
- 合計創業700年以上の歴史が交差する3社、就任前の修業時代とは?
- 歴史の転機と老舗ならではの乗り越え方
- 老舗3社の“日本橋コラボ”とは?——「日本橋餅」開発秘話
- 再開発とともに変わる日本橋——各社の取り組み
- これからの日本橋、老舗が描く未来とは?
- 編集後記
合計創業700年以上の歴史が交差する3社、就任前の修業時代とは?
勝本:創業から何百年も歴史がある老舗企業の代表に就任された際は、非常に大きなプレッシャーもおありだったと思います。代表就任前には、どのようなキャリアを積まれたのでしょうか?
髙津さん(にんべん):私は横浜高島屋で3年間、接客と販売を経験しました。直接お客様と向き合うことでBtoCビジネスの本質を学び、今の意思決定にも大きく役立っています。

細田さん(榮太樓):三井物産に在籍させてもらった10年間では、食料経理部、エネルギー本部を経て、最終的には外食・中食にまつわる投資業務を経験しました。「食品業界でどうやったらトレンドを読み、ヒット商品・コンセプトを作ることができるのか」という視点と、数百社に及ぶ中小企業経営者との対話、あとは徹底的に財務諸表を読み込むことで経営数値に対する感度が上がったこと、全て今の業務に繋がってくれています。

山本さん(山本海苔店):商社・コンサル・金融と悩みましたが、経営者には危機管理能力が必要だと思い、東京三菱銀行(当時)に入り法人営業を担当していました。銀行員を経験して数字に強くなり、自社以外の環境を経験できたことが財産です。

勝本:なるほど。やはり大学卒業後すぐに自社に入るのではなく、他企業で経験を積まれたことで、現場での感覚が養われ、経営に必要な数字を見る力も身につけられたのですね。
歴史の転機と老舗ならではの乗り越え方
勝本:創業から今日に至るまで、各社にはどのような苦境があったのでしょうか?
にんべん|明治維新・震災・バブル崩壊を乗り越えて
髙津さん:にんべんは、江戸時代から明治時代に変わる頃に大きな危機がありました。幕府の瓦解時に幕府や諸大名への莫大な貸付金や売掛金が1,000両も回収不能となり、経営危機に陥りました。
また、1923年の関東大震災でも200年の歴史を誇ってきた店舗が焼けてしまいましたが、翌月には小石川駕籠町交差点の仮営業所で鰹節の小売りを再開するなど素早い対応で庶民の暮らしを守り、震災復興にも寄与しました。

近年ではバブル崩壊でギフト需要が如実に減ったことが最も大変でした。このタイミングから、より自家需要にシフトしていかざるを得なくなりましたね。
榮太樓總本鋪|戦争での全焼と復興、そして百貨店の隆盛期
細田さん:バブル崩壊は榮太樓としても大きかったですね。お歳暮の商品として私が物心ついた頃から栗や黒豆の瓶詰を冬の代表商品として販売していましたが、お歳暮限定商品を作るほどの需要が無いと判断し昨シーズンにとうとう廃盤に致しました。いまは普段から販売しているものを上手に組み合わせて、お歳暮向け商品として販売しています。
一番大変だったのは、やはり第二次世界大戦を乗り越えた経験でしょうね。一面焼け野原になってしまった日本橋を見て、一度は暖簾を畳むかという話も出たように聞いています。ただ、私の祖父がもう一度やり直したいと決意し、翌年には本店を再建。人と共に疎開させていた貴重なお砂糖を東京に戻し、他社に先駆けて商品を生産することができたという話を祖父の口から耳にした記憶があります。
1951年(昭和26年)には、「松竹梅」と言われた3社(榮太樓=松の商標、とらや=竹の皮、山本海苔店=梅がトレードマーク)が中心となって、現在のデパ地下や食品銘店街のルーツでもある「東急東横のれん街」の設立に尽力しました。
その後、高度成長期と共に百貨店が全国に展開したことで、私たちも共に事業拡大の波に乗ることが出来ました。そのため、過去最高の売り上げは1970年代に記録したようですが、その後のバブル崩壊に伴い虚礼廃止という言葉が生まれ、中元歳暮といった高額ギフトの需要が急速に減ってしまいました。それをきっかけに私たちはスーパーコンビニ市場に進出していくのですが、これは現代にも続いている大きな転換期だったと思います。
山本海苔店|震災と、いま直面する“海苔の不作”
山本さん:山本海苔店も関東大震災では大きなダメージを受けました。日本橋の店舗や倉庫が消失し、日本橋にあった魚河岸も震災を機に築地へ移転しましたが、すぐさま復興に取りかかり、9月30日には日本橋に店舗を構えると同時に築地の魚河岸にも築地出張所を設置して、販売を再開することができました。
これほど早く復興できたのは、日頃から地域の皆さんとコミュニケーションを重ね、つながりを築いていたことで、多くの方にご協力いただけたからだと聞いています。
その経験があるからこそ、現在もさまざまなお祭りへの協賛やボランティア活動など、地域との関わりを積極的に続けています。

山本海苔店にとっての一番の経営危機は、ある意味では今かもしれません。1949年に海苔の生態が解明され、53年頃から生産量が増え、バブルの好景気と百貨店出店ラッシュでうまくいっていましたが、実は、ここのところ海苔の不作により生産量がガクンと落ちてしまっているからです。現在、この危機を乗り越えるべく秘策を練っているところです。
老舗3社の“日本橋コラボ”とは?——「日本橋餅」開発秘話
勝本:そんなあらゆる危機を乗り越えられてきた3社でコラボ商品なども開発されているとお聞きしました。これはどういう経緯で開発に至ったのですか?
細田さん:近代では、「日本橋餅」が最初に協同開発したコラボ商品ですね。
「日本橋餅」は、にんべん・山本海苔店・榮太樓總本鋪の素材を活かした榮太樓總本鋪の人気商品です。マンゲツモチという弾力のある糯米を使用したお餅の中ににんべんの本枯節の削り節かつお節だしを使用したみたらしタレをふんだんに入れ、山本海苔店の有明海苔を巻いた磯辺焼きのような和菓子です。

先代たちは「親交は深くとも商売は別」と、互いにコラボをするというようなアイデアは持ち合わせていなかったようですが、今回は私から皆さんに声をかけさせていただきました。企画から商品化まで2年ほどかかりましたが、ありがたかったのは、当時企画責任者でしかなかった私ですが、血筋であるという信頼感からか、皆さんが聞く耳を持っていただき、試行錯誤しながら一緒に商品開発をしてくださったことです。
過度なかつおぶしの香りは菓子に向いていないと、血合いを除いた本枯節を極限まで薄く削っていただいたり、この菓子に合う海苔は佐賀県産の有明海苔だと選定いただいたり、さまざまなプロセスはありましたが、日本橋名物を作りたい、日本橋に行ったらこれを買っておけば間違いないという商品を作りたいという想いから、妥協をせずに開発を続けた結果、よい商品が出来上がりました。
日本橋に店舗を構える3店それぞれの味を一つの餅に表し、「日本橋生まれ、日本橋育ち」のこの日本橋餅は手土産にもおすすめです。
再開発とともに変わる日本橋——各社の取り組み
勝本:順次再開発や新業態開発を進められていられるそうですが、その中でのご苦労話などをお聞かせください。
にんべん|だしの体験型店舗「日本橋だし場 本店」
髙津さん:2010年に再開発されたコレド室町に移転し、体験型店舗を開設しました。私が料理好きということもあり、だし自体をもっとお客様に味わっていただけるような体験型店舗を作りたいと考えていました。
そこで「日本橋だし場 本店」を出店し、昨年2024年にはかつお節だし107万杯(累計)を達成しました。有料でだしを提供するという新たな試みに不安もありましたが、予想を上回る多くのお客様にご来店いただいています。今後も鰹節を通して「本物のだしの美味しさ」をお伝えできるよう、スタッフ一同尽力してお客様がワクワクするような食体験を提供したいですね。

榮太樓總本鋪|榮太樓カフェでの接点がブランド体験に
細田さん:榮太樓の本店に併設しているカフェはあえて和菓子屋らしくないカジュアルな作りにしています。老舗和菓子屋が併設する和風喫茶室はいずれも値段が高くてもゆったりと過ごしていただくというスタイルが多いです。うちは正に日本橋が魚河岸だった時代がそうであったように、もっとカジュアルに「日本橋に来たついでに、榮太樓にでも寄って行くか」となるべく多くのお客様に楽しんでいただきたいというのがコンセプトです。値段も敢えて控えめにしておりますが、榮太樓のブランドをリアルに体感いただく場所になってくれればよいと考えています。
ネット販売が普及している現代では、かつての様にガラスケースの中に商品を並べていらっしゃいませと販売するだけでは難しい時代です。「ここに来ないと買えない・味わえない」という限定商品や、創業の頃から繋いできた焼立て金鍔をカフェメニューとして提供することで、SNS等で情報を得た地方在住のお客様もスーツケースを転がしながらご来店いただいています。口コミでも榮太樓の本店を「今までにない和菓子屋のスタイル」と評価してくださる方がいらっしゃるのはうれしいですね。
榮太樓カフェで一度でもお客様と接点を持ち、ブランド、商品を気に入っていただくことができれば、実際の御購入はネット通販を始めそれぞれのお客様にとって便利な方法を御利用いただければよいと考えています。
私たちにとっては百貨店内のビジネスだけで事業全体の採算をとるというのはかつてなく難しい時代です。値段を敢えて抑えることで間口を広げ、多くの方にご来店いただきお客様との接点をまずは増やすという、にんべんさんの戦術を私たちも大いに参考にさせていただいています。

山本海苔店|高級海苔市場の再興を目指して
山本さん:山本海苔店ではギフト海苔の売り上げが減っています。
現在の海苔の国内市場はギフト約2%、家庭用28%、業務用70%ですが、昔はギフトが15%以上あり、海苔漁師さんからも高く海苔を買い取ってあげられていました。「山本海苔店に海苔を買ってもらえば海苔御殿が立つ」と言われるほどで、漁師さんは競っておいしい海苔を作ろうとしてくださっていました。
業務用のうち約半分は、コンビニおにぎり用の海苔が占めています。大量の需要があるという点では喜ばしいことですが、高級海苔を使う市場をもう一度つくり直さなければ、海苔漁師の方々が十分な収益を得ることができません。
現在では、代々漁業を営んでこられた海苔漁師の廃業が相次いでおり、これこそが業界全体にとって大きな課題だと感じています。
山本海苔店は、「パリッとしてくちどけが良い海苔」がおいしい海苔だと定義しています。海苔の等級は、海苔業界一般では、色やツヤで判別されていますが、弊社では色やツヤに加え、さらに、海苔の口どけや柔らかさを基準に判別しているのです。
山本海苔店は、かつて海苔ギフト市場のリーディングカンパニーとしての地位を確立していました。現在は、高級海苔を積極的に活用するような業態や新たな市場を再び創出していきたいと考えています。

これからの日本橋、老舗が描く未来とは?
勝本:日本橋の再開発が進みこれから街としても大きく変わってくると思いますが、どのような期待やビジョンをお持ちでしょうか?
細田さん:戦後の日本橋はオフィス街のような印象が強くなっていますが、江戸時代のようにもっと人々が楽しめ、集える街にしていきたいと考えています。仕事をしに行く場所であると同時に、夜や週末にも訪れたくなるような街になれば理想的です。
もともと日本橋は、文化を含めて多くの人で賑わう街だったはずです。だからこそ、今一度「食」をきっかけに、その賑わいを取り戻していけたらうれしいですね。
山本さん:日本橋はもともと金融街として発展してきた背景があり、金融関係のお店は15時を過ぎるとシャッターが閉まり、土日も閉まっているため、活気に欠けます。
2025年11月からの再開発で山本海苔店は少し場所を移して仮店舗営業になるのですが、その際にはこれまでの物販だけでなく「山本海苔を最もおいしく食べられる経験ができるお店」、つまり飲食もできる物販店にする予定です。このお店が更に日本橋を盛り上げられたらと思っています。
髙津さん:私は、首都高の高架橋がない日本橋を見たことがありません。だからこそ、将来的に空が開けた、かつての日本橋の姿をぜひ見てみたいという思いがあります。
再開発が始まる以前の日本橋は、いわば“週5日だけの街”でしたが、これからは“週7日楽しめる街”として、もっと多くの人に滞在してもらえるようにしていきたいと考えています。
現在は、シネコンや美術館の開業、福徳神社やお祭り、神輿の復活など、街の文化やにぎわいを取り戻す動きが広がってきました。こうした流れによって、地域や近隣の方々が働きに、あるいは楽しみに集まるようになっています。この輪がさらに広がり、日本橋全体に活気が戻ってくれば嬉しいですね。
多くの方や企業と手を取り合いながら、日本橋に長く居るものとしてのアイデアを交え、より魅力ある街へと育てていきたいと思っています。

編集後記
今回のインタビューは、以前、清和ビジネスのノベルティ制作にご協力いただいた3社の皆さまに、再びご協力をお願いし実現しました!各社とも快くご承諾くださり、貴重なお話をたっぷりと伺うことができました。
とりわけ印象的だったのは、皆さまがそれぞれの企業の「暖簾」だけでなく、日本橋という街そのものを心から大切にされている点です。この思いが共通しているからこそ、企業の垣根を越えて良好な関係性が築かれているのだと、あらためて感じました。
なお、日本橋の未来像として注目されている「日本橋リバーウォーク」については、『日本橋イズム』の次回記事で詳しくご紹介する予定です。お楽しみに!
改めまして、髙津さん、細田さん、山本さん、ご多忙の中、インタビューにご協力いただき誠にありがとうございました!
〈インタビュー協力〉
会社名:株式会社にんべん
住所:東京都中央区日本橋室町一丁目5番5号 室町ちばぎん三井ビルディング12F
創業:1699年(元禄12年)
代表取締役社長:髙津 伊兵衛
会社名:株式会社 榮太樓總本鋪
住所:東京都中央区日本橋一丁目2番5号
創業:1818年(文政元年)
代表取締役社長:細田 将己
会社名:株式会社 山本海苔店
住所:東京都中央区日本橋室町一丁目6番3号
創業:1849年(嘉永2年)
代表取締役社長:山本 貴大
〈撮影協力〉
施設名:ヒューリックプレミアムクラブ日本橋
住所:東京都中央区日本橋2丁目5番1号 14階
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